Abisyeikah/アビシェイカー "observation about air"
Format: CD/Digital
Label: [...]dotsmark
Released Year: 2013
気付いたとしての話ではあるしノイズに局限する必要も無いのだが本邦の作家の多くが自己の不毛に立ちすくむ時、信仰は別にして何故「神学」を発動させえないのか、永らく不思議な所ではある。それはさておき?
このコンビの片割れ(djlpakadjsk)だけでライヴを敢行したのを先日、松戸で観た。今しがたオブジェ(キャベツ)に仕込んだコンタクトマイクが肥満漢である彼の次の挙措につられて呆気なく落ち、コッ、という枯寂な音とともに多くはない客の失笑を聴いた。コッ、 はネタの不毛(言っておくがMIXの精度は高すぎ)を超えた音の存在論であり空気もまた考察される事で作品内にその在りかを生成する。空気には嘗て乱痴気騒ぎの果てにネタとして葬った忌み子あるいは著作権(苦笑)らも揺曳していよう。したがって聴き様によっては本作品はそれらに対する彼らなりの魂鎮め「祓い」のプロセスの実録とも言え、緊張感を自ずと強いて来る構成は彼らの「ノイズ」作品中最高濃度と断言する。「俺」や「おまえ」の位置取りばかりに汲々としている斯界の喧騒をよそに自己自身の影(作品)に訴追される僥倖(裏を返せば日常次元では一生不幸である)に在り付ける作家がこの日本にどれだけいるだろうか。 終いにもう一方の雄、Katsumassacreが何らかのツイートの折りに引用したニーチェの箴言を借りて彼らの行く末に肉迫し続けるとしよう。
"深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ"
この文章は筆者・田原康氏から許可を得て代理投稿しました。