K2について その1
METALOPLAKIA(1st?CD1994)はまだインダストリアルの影響が濃厚だが同時に例のカットアップも顕現しつつありフォロワーやプロパーの域に留まってはいない。機材トラブルの如き轢断の後の空白に無ではない生動する何物かの残影を見識あるリスナーならば打坐即刻と聴取可能であろう。
日常次元では医者であり数多い臨床をこなしてきた事であろうこの作家にとってノイズ(というより西洋現代思想)文脈に照応せずとも既にヒトの生死は身近であるという認識が(かつて電子雑音のレヴューでどなたかの死体ジャケに苦言を呈されていた)早くもオリジナリティーを指向せしめたと仮定するならばその意志の有り様も本邦において比類無い作品と言える。
インナーに記された電圧の高い主張を見よ。そこからの試行の果てのエポケー(判断停止)としての空白=カットアップが単に技法を越えてこの作家のノイズに対する屈折した立ち位置と固有性を証しだてていると思えるから。